2010年02月24日
春が来た
今日も一段と暖かいですね~。
築30年の我が家は当然床暖房などではなく、ストーブもない
(以前、灯油をこぼして石油ファンヒーターを炎上させたため)ので、
とても寒いです。反面、夏は比較的涼しいんだけど。
なので、家の中では毛布のようなモコモコフリースを着込み、
とても人には見せられない雪ん子状態で過ごしております。
寒がりなので余計ね。
でも今日は暖かだったから、外に出て犬小屋の掃除をしたり、
家の中を掃除機かけたり、とてもアクティブ。
ぽかぽか陽気の中、外をうろついていたらシイタケ見つけた。
なんと!うちにシイタケのほだ木があるなんて。
藤棚の下にひっそりと置いてあったよ。
結構生えてたので収穫してみた。
藤棚には野鳥のためのミカンも置いてあるからか、シイタケも
少し食べられちゃってる気がする。
変なところがくぼんでるし。
・・・それにしても、時間がたっぷりあるにも関わらず
文章を長く書く気になれないのはなんでだろう。
書きたくないっていうより、書くことがないのね。
以前のブログではあんなに忙しかったのに、ものすごい長い
文章をガンガン書いていたんだけど、
今は書くべきことがない。
あれは一種のストレス発散だったんだろうな~。
今は別に思っていることを書かなくても、しゃべらなくても
全然平気だもんな。
次の仕事はクリエイティブな仕事じゃないから好都合か。
丁寧にコツコツと積み上げる仕事なはず。多分。よく知らんけど。
ところで、全然関係ないけど、auがいよいよスマートフォンに
乗り出すらしいね。遅いよ。遅すぎて周回遅れでむしろ早いかもよ。
iPhone登場で10年近く付き合ったauと別れてソフトバンクに乗り換え、
そして今月、iPhoneでスマートフォンに慣れたってのもあって
docomoのBlackBerry Boldに乗り換え。
もうauに戻ることはないだろうと思ってる。
土屋アンナのCMよりホワイト一家のCMのほうがまだ好きだし。
(うるさいのは好きじゃないから)
auは明らかに中・高生を意識してるよね。学割で一世を風靡した
という成功体験から抜け切れていないのか、それとも
auはそういう立ち位置だとハナっから決めているのか。
携帯端末のカラーバリエーションやデザインのみを
表に打ち出すCMにも正直がっかりだし。
見た目も大事だけどさ~、携帯でこんなことができる!的な
エポックメイキングはやはりアメリカのappleやgoogleの
登場を待つしかなかったのかという残念さ。
Kindleもamazonだしね。
最近売れている「フリー ~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」
(クリス・アンダーソン著)を読んだんだけど、お金を移動させる「経済」は
ネットの普及と記憶媒体の低価格化によって、大きな変貌を
遂げているんだな~と思った。
18世紀蒸気機関の発明による産業革命のときと同じように
21世紀になった今、労働とは何か、お金とは何か、経済とは何か、
そして人類全体が生存し続けるためにはどうしたらいいのかが問われ、
現実問題としてのど元に突きつけられている気がする。
高度成長期に組み立てられた社会保障制度や年金制度が、
ゼロ成長&少子高齢化&人口減のトリプルパンチで崩壊しつつある今、
ベーシックインカムなどの新たな国家経済の考え方も注目されているし。
多分、明治維新や太平洋戦争敗戦に匹敵するような危機的状況に
日本は陥っているんだろうなあと思う。
だからこそ、竜馬の登場を待ち望んでいるんだろう。
でもさ~、多分竜馬はもう現れないと思うんだ。
てか、そもそも明治を作ったのは竜馬じゃないもんね。
一人じゃ作れないよ、国は。
日本の一部の人たちが、危機感を持って、問題意識を持って、
それぞれに美学とポリシーを持って、本人の目の前にある問題に
立ち向かい、取り組んで、時には倒れながら、それらが集合的に
集まって明治ができたんじゃね?
誰か一人の頭の中に日本の青写真があって、それ通りに設計されたって
ワケじゃないと思うんだ。まあどっかの陰謀じゃなけりゃ。
江戸末期はさ、まあほかの国よりは識字率も高くて、
知識人も比較的いたのかもしれないけど、全員じゃないじゃん。
でも今はネットの時代。
テレビや新聞などのマスメディア以外の情報も、簡単にだれでも
手に入れることができる。
一握りの選民が事実を知っている、なんて状況も作りにくい。
(ない、とは言わないが)
そんな時代に作られる新しい社会ってどんなんなんだろう。
まだ30だから、あと30年くらいは見れるかな。
「私が30歳くらいのころは政府っていうシステムがあってね」なんて
昔話を語ることになったりして。
築30年の我が家は当然床暖房などではなく、ストーブもない
(以前、灯油をこぼして石油ファンヒーターを炎上させたため)ので、
とても寒いです。反面、夏は比較的涼しいんだけど。
なので、家の中では毛布のようなモコモコフリースを着込み、
とても人には見せられない雪ん子状態で過ごしております。
寒がりなので余計ね。
でも今日は暖かだったから、外に出て犬小屋の掃除をしたり、
家の中を掃除機かけたり、とてもアクティブ。
ぽかぽか陽気の中、外をうろついていたらシイタケ見つけた。
なんと!うちにシイタケのほだ木があるなんて。
藤棚の下にひっそりと置いてあったよ。
結構生えてたので収穫してみた。
藤棚には野鳥のためのミカンも置いてあるからか、シイタケも
少し食べられちゃってる気がする。
変なところがくぼんでるし。
・・・それにしても、時間がたっぷりあるにも関わらず
文章を長く書く気になれないのはなんでだろう。
書きたくないっていうより、書くことがないのね。
以前のブログではあんなに忙しかったのに、ものすごい長い
文章をガンガン書いていたんだけど、
今は書くべきことがない。
あれは一種のストレス発散だったんだろうな~。
今は別に思っていることを書かなくても、しゃべらなくても
全然平気だもんな。
次の仕事はクリエイティブな仕事じゃないから好都合か。
丁寧にコツコツと積み上げる仕事なはず。多分。よく知らんけど。
ところで、全然関係ないけど、auがいよいよスマートフォンに
乗り出すらしいね。遅いよ。遅すぎて周回遅れでむしろ早いかもよ。
iPhone登場で10年近く付き合ったauと別れてソフトバンクに乗り換え、
そして今月、iPhoneでスマートフォンに慣れたってのもあって
docomoのBlackBerry Boldに乗り換え。
もうauに戻ることはないだろうと思ってる。
土屋アンナのCMよりホワイト一家のCMのほうがまだ好きだし。
(うるさいのは好きじゃないから)
auは明らかに中・高生を意識してるよね。学割で一世を風靡した
という成功体験から抜け切れていないのか、それとも
auはそういう立ち位置だとハナっから決めているのか。
携帯端末のカラーバリエーションやデザインのみを
表に打ち出すCMにも正直がっかりだし。
見た目も大事だけどさ~、携帯でこんなことができる!的な
エポックメイキングはやはりアメリカのappleやgoogleの
登場を待つしかなかったのかという残念さ。
Kindleもamazonだしね。
最近売れている「フリー ~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」
(クリス・アンダーソン著)を読んだんだけど、お金を移動させる「経済」は
ネットの普及と記憶媒体の低価格化によって、大きな変貌を
遂げているんだな~と思った。
18世紀蒸気機関の発明による産業革命のときと同じように
21世紀になった今、労働とは何か、お金とは何か、経済とは何か、
そして人類全体が生存し続けるためにはどうしたらいいのかが問われ、
現実問題としてのど元に突きつけられている気がする。
高度成長期に組み立てられた社会保障制度や年金制度が、
ゼロ成長&少子高齢化&人口減のトリプルパンチで崩壊しつつある今、
ベーシックインカムなどの新たな国家経済の考え方も注目されているし。
多分、明治維新や太平洋戦争敗戦に匹敵するような危機的状況に
日本は陥っているんだろうなあと思う。
だからこそ、竜馬の登場を待ち望んでいるんだろう。
でもさ~、多分竜馬はもう現れないと思うんだ。
てか、そもそも明治を作ったのは竜馬じゃないもんね。
一人じゃ作れないよ、国は。
日本の一部の人たちが、危機感を持って、問題意識を持って、
それぞれに美学とポリシーを持って、本人の目の前にある問題に
立ち向かい、取り組んで、時には倒れながら、それらが集合的に
集まって明治ができたんじゃね?
誰か一人の頭の中に日本の青写真があって、それ通りに設計されたって
ワケじゃないと思うんだ。まあどっかの陰謀じゃなけりゃ。
江戸末期はさ、まあほかの国よりは識字率も高くて、
知識人も比較的いたのかもしれないけど、全員じゃないじゃん。
でも今はネットの時代。
テレビや新聞などのマスメディア以外の情報も、簡単にだれでも
手に入れることができる。
一握りの選民が事実を知っている、なんて状況も作りにくい。
(ない、とは言わないが)
そんな時代に作られる新しい社会ってどんなんなんだろう。
まだ30だから、あと30年くらいは見れるかな。
「私が30歳くらいのころは政府っていうシステムがあってね」なんて
昔話を語ることになったりして。
Posted by キナコ at 16:32│Comments(0)
│ひとりごと